自己を啓発するのは悪くないけど。
自己啓発にハマってらっしゃる方が使われる、
志事(しごと)とか、顔晴る(がんば る)とか、あれは何なんですかね。
心友(しんゆう)とか、猫かぶらずにド直球で言うと、しゃらくせえわですよ←
自己を啓発されるのは良いんですよ。
皆さんちょっとでも、"良くなりたい"と思うと思うんです。
例えば、良い行いをしたいとか、良い人間関係を構築したいとか、引き寄せの法則だとか、そういうのはとても理解出来ます。
あたしだって、少しでも良い存在でありたい。と思ってはいます(笑)
でもその気持ちが、「志事顔晴れ!」になった途端、すっごく薄っぺらく感じるのはあたしだけ・・・?
中身のなーーーい、取って付けた感を辺り一面に撒き散らしていると思うのはあたしだけ・・・?
自己を啓発して、その程度か!とまで思わせる造語集には、ある意味ヤンキー的才能を感じます。
四露死苦!みたいな。
自己啓発されている中にも、多分しゃらくせえわと思ってて、使わない人もいるんだろうし、自己啓発も幅広いだろうから一概にどうこうは言えないけど。
重ねて言いますが、自己啓発が嫌いなんじゃないですよー。
周りは変えられないけど、自分は変われるってあたしだって思います。
でも、字面を変えても自分は変わらないと思うんだなー。
そうそう、だから嫌なんだ。
字を変える事で意識を変えるとか言うんだろうし、確かに目から入ってくる情報は大事だと思うけど、仕事を志事って書いたり、頑張るを顔晴るって書くだけで変われるなら、その人はとっくに変わってる。
書く事で「自分、自己を啓発出来てる~!」って思わせるワナなんじゃないかとすら思えてくるから自己啓発セミナーって怖いw
あたしは仕事は仕事で良い。
頑張るは頑張るで良いし。
親友なんて、素晴らしい言葉だと思う。
そのままで充分、変われると思う。
言葉は思考かも知れないけど、間違いなくあたしは頑張るを顔晴るって言う人とは距離を置く。
頑張るって、顔晴れんだろ。
頑張った後に、顔が晴れる事があるだけでしょ。でも、頑張った事は無にはならんのだ。
それで充分だと思ったお話。