電車に乗っていると、何か蝕まれ感がある件について。
最近、友人の上京や、東京駅近くを訪れる機会があり、よく電車に乗っています。
東京に住み始めて1年半が経ちますが、相変わらず慣れません。
まず、人の多さ。
たまーにほぼ満員電車(ガチの、潰れる程の満員電車はまだ未経験)に乗りますが、こないだなんか、電車のドアがプシューと開いて、ホームで電車を待っていた外国の方が、ほぼ満員なギッチリさを見て、ハハッと笑った後こう言いました。
「crazy!」
うん!w
あたしもそう思います!
満員でなくても、座れても窮屈さはあります。
隣に座ったのが細いJKなら、多少の余裕はありますが、両隣がガッチリとかムッチリした男性だと、腕が触れちゃうので、なるべく触れないように、肩を体の内側に入れ目で座っています。
乗っている間はずっとその姿勢をキープするので、なかなかに窮屈です。
こちらも触れない様に気を付けますが、男性もまた、あらぬ疑いをかけられない為に必死の努力をします。
満員電車では、両手を下に下ろさずに乗っているのをよく見かけますね。
結局、お互い窮屈ですね。
人なんか、生きてれば迷惑かけて当たり前なのに、なかなか安心して迷惑かけられる場所は少なくて、プルプルしながら電車に乗っていると、とにかく迷惑かけちゃダメ!とか、周りは知らない人ばっかりなのに、物理的な距離だけやたら近い!とか、田舎出身のあたしから見たら、矛盾が半端ないのです。
その矛盾感が蝕まれ感に繋がるのかなーと思っています。
とは言え、電車に乗らないって選択肢は現実的でないので、蝕まれつつ生きていかないといけないのかなと。
別に都会が悪いとか、東京が嫌いとかではなく、元々人に酔っちゃうとか、パーソナルスペースが広めの方が有り難い、とかいう要素もあるのですが、田舎と都会では圧倒的に違う所があります。
それは、無関心さ。
人がいっぱいいると、一々関心を持っているとキリがないし、単に田舎ではお節介が過ぎる面も多々あるから、これはどちらが良いかは好き嫌いあると思いますが、あたしはお節介派かなぁ・・・。
確かにお節介な事をされると、相手の事をうざったく思っちゃうんだけど、それだけ思って、考えてもらってる感はある気がする。
だから逆に何も関心を持たれないのは、「あなたなんか世の中から消えても、誰も気にも止めません」って言われてる様な気になって嫌なんだと思う。
別に都会で暮らしてる人も、そこまでは考えてないと思うけどね。
こないだホームでベンチに座りながら、ぐだーっとなってる女性を見かけたんですが、ぐったりなのか、ぐっすりなのか、判断つかなかった。
誰も声をかけないし、あたしもかけなかった。
あたしが声をかければ、あたしの蝕まれ感はどっか行ってくれるのかも知れない、と思った話。