人と幸せを競争すると、寂しい人間になるかもな話。
一時期"マウンティング"なんて言葉が流行りましたが、そんな単語があろうがなかろうが人は、
「誰かの人生より、自分の人生の方がマシ!」
と、思いたい生き物なんじゃないかと思います。
Instagramとかで、『充実してる』自分の写真をどんどんUPしてる人、いますよね~。
今年の夏、すんごい裏側を見た気になった出来事があったんです。
夏休みに、綺麗な海に行ったんです。
↑実際の写真
あたしは海には入らず、こどもが泳いでいるのを見ていました。
するとそこに、女子力のやたら高そうな女子が2人、きゃいきゃいしながらやって来たのです。眩しい程のビキニでっ!( •̀∀•́ )✧
2人は荷物を置くと、おもむろに自撮り棒を取り出し、すぐに写真を撮り始めたのです。
それがね、30分以上続きました。目の前で・・・。
そして2人は浮き輪を借りにいったのです。
おっと、ようやく海にINするのか!?と思ったら、今度は浮き輪を装着し、お腹を隠したver.を撮り始めました。
何かもう、執念しか感じられない・・・(´・ω・`;)
そしてちょっと満足したのか、ご飯を食べ始め、ようやく撮影会も終わりかと思ったあたしが甘かったw
・ビーチに寝っころがったver.
・見返り美人ver.
・ジャンプver.などなど、結構パターン持ってましたw
あ、ご飯は残してたよ!←
あんまり人の事どうこう言えないけど、1時間以上かけて写真撮ったって、人はチラッと見て、「楽しそう~!綺麗な海だね~!」とか、「ビキニ似合ってる~!スタイル良くて良いなぁ!」とか、本気かどうかもよく分からない定型文を言ってくれるだけだと思うの!まじで。
美しさとか若さって、ほんと一瞬なんだと思うのですよ。
周りには若い男の子が沢山いて、必死過ぎてかわいいなぁと思う程、すんごいアピールを繰り広げてたのに、彼女達は写真に夢中で、何か勿体ないなぁとも思いました。
あたしは恋愛至上主義でも何でもないけど、写真撮るよりは誰かと話したりするのが面白いし、写真は写真で好きなら良いんだけど、「あたしの毎日って超充実してる~!」ってやり出して、そこに自分の価値を見出だしたりすると、違うかなぁと思うのです。
大体、毎日が超充実なんて有り得ない。
「今日はクソでした」もないと。うん。
逆もまた然りで、
「毎日がクソ」も有り得ない。
何か良い事も、小さな事かも知れないけどあると思う。
「幸せは自分の心が決める」とかよく聞くけど、人と幸せの数を競争すると寂しい人間になると思う。
だって競争って勝ち負けで、自分が1番幸せである為には、人は自分より不幸でないといけない訳だから。
幸せは、数が多い少ないで語るとおかしくなっちゃうんじゃないかなぁと。
パンケーキの写真をUPして、沢山のいいねが付いても、美味しかった幸せを忘れちゃったら、意味ないんじゃないかな?とあたしは思います。
かわいいは作れるみたいだけど、幸せを作り始めると、きっとすんごく疲れちゃうぞっ♡←